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豊臣兄弟! 甚助(副田吉成)どうなる あさひと離婚させられる

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甚助(副田吉成)のネタバレ: 多伊城を奪われる

但馬国二方郡・多伊城の城代あるいは城主に

NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」であさひ(倉沢杏菜)の夫として甚助(前原瑞樹)という名前で登場する人物は、のちに副田吉成(そえだよしなり)と名を改めることになります。

この副田吉成という人物は、は副田甚兵衛尉(そえだじんひょうえのじょう)という名前でも知られており、1577(天正5)年ごろから始まった羽柴秀吉の中国攻めの一貫として行われた但馬攻めに弟・木下小一郎長秀(のちの豊臣秀長)の与力として従軍していました。

1673(寛文13/延宝元)年に編纂された「武家事紀」には、秀吉が「中国征伐」と言われる毛利攻めを行なっていたときの副田吉成に関する記述が残されています。

但馬国を領し、出石に在城、二方郡台の城に副田甚兵衛尉〈秀吉妹婿〉在て秀長の与力たり、

黒田 基樹. 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書) (p. 47). (Function). Kindle Edition.

引用した文章中にある「二方郡台の城」とは、おそらく但馬国二方郡(現在の兵庫県新温泉町・香美町)にあった多伊城(たいじょう)のことでしょう。

副田吉成は1580(天正10)年ごろには、多伊城の城代あるいは城主になっていたと考えられます。

本能寺の変ののち多伊城が奪取される

しかし1582(天正10)年、副田吉成にとって人生を左右する一大事に遭遇します。

同年6月2日に京で本能寺の変が発生。事件後の対応を巡って副田吉成は但馬から隣国の播磨に移動する際、多伊城が地元の一揆勢に奪われてしまったのです。

二方郡と南北で境を接する但馬国七美郡の小代谷(現在の兵庫県香美町)には、当時、木下小一郎長秀の領国統治を良しとしない在来の勢力が残っていました(小代谷一揆。のちに藤堂高虎が鎮圧)。

その勢力が七美郡の北側に位置する二方郡にも入り込んでいたのかもしれません。

甚助(副田吉成)のネタバレ: あさひと離縁させられる

あさひ(朝日姫)と離縁させられる

幸い二方郡は因幡国とも国境を接しており、鳥取城主であった宮部継潤が、因幡から軍勢を押し出して一揆勢から多伊城を奪い返すことに成功。

しかし副田吉成は多伊城を失ってしまった責任を取らされて、秀吉の妹であり妻の朝日姫(「豊臣兄弟!」のあさひにあたる女性)と離縁をさせられることに。

上述した「武家事紀」では本能寺の変の発生から、多伊城の落城、朝日姫との離縁まで、一連の経緯が説明されています。

公(秀吉)の妹は元副田甚兵衛妻なり、副田但馬国二方郡多伊城に在り、信長逝去の時、副田兵を播州に出し、其のあとにて一揆起こり、多伊城を攻め取る、宮部(継潤)馳せ来たりて取りかえす、これより副田が妻を公奪いて与えず、副田猶勤仕す、

黒田 基樹. 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書) (p. 47). (Function). Kindle Edition.

あさひと離縁させられたのちも秀吉に仕える

ただ「武家事紀」によると、朝日姫と離縁させられたのちも「副田猶勤仕す」とあります。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当した黒田基樹さんの著作である「羽柴秀吉とその一族」によると、副田吉成は朝日姫と離縁したのちも、秀吉に仕えていたと指摘。

1582年10月には織田信長の葬儀のために杉原家次・桑原貞也とともに法事奉行を務め、さらに1583(天正11)年の賤が岳の合戦ののちには敵将・柴田権六と佐久間盛政の護送を行なったとあります。

副田吉成があさひと離縁させられた本当の理由とは?

通説では「あさひは徳川家康と政略結婚するために最初の夫と別れさせられた」とよく語られます。

実際、1981(昭和56)年のNHK大河ドラマ「おんな太閤記」や、2006(平成18)年のNHK大河ドラマ「功名が辻」に登場する副田甚兵衛という人物は、朝日姫にあたる女性が徳川家康と政略結婚をするために、豊臣秀吉によって強引に離縁させられるというあらすじになっていました。

しかし「武家事紀」の記述に従うと、朝日姫が最初に結婚した夫、つまり副田吉成と離婚した理由は、徳川家康との政略結婚と関係がなかったことになります。

羽柴秀吉とその一族」の著者である黒田基樹さんは、実際にあさひが副田甚兵衛尉と離婚をした可能性がるある年は、あさひが徳川家康の正室となった1586(天正14)年ごろではなく、1582(天正10)年ごろの方が高いと指摘されています。

ちなみに「朝日姫が徳川家康と政略結婚するために最初の夫と別れさせられた」という話は、1833(天保4)年に成立した「改正三河後風土記」と、1844(天保15/弘化元)年に成立した「尾張志」に基づく所伝です。

「武家事紀」が「改正三河後風土記」や「尾張志」よりも150年以上前に編纂されていたことを考えると、副田吉成が「豊臣兄弟!」のあさひと離婚する理由は、やはり多伊城を失陥してしまったことに基づくのかもしれません。

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大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第5話から甚助という名前で登場する副田吉成(または副田甚兵衛尉)については下記の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。

豊臣兄弟! 甚助(副田吉成)どうなる 参考文献

今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。

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