浅野長勝は10話「信長上洛」で戦死
浅野長勝は1568年9月11日に戦死(豊臣兄弟! 10話「信長上洛」)
NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」で宮川一朗太さんが演じる浅野長勝は、1568(永禄11)年9月10日に死去します。死因は戦死です。
浅野長勝が戦死する時期を大河ドラマ「豊臣兄弟!」のあらすじに当てはめると10話「信長上洛」での出来事となります。
10話では織田信長(小栗旬)は室町幕府15代将軍である足利義昭(尾上右近)を奉じて京に上洛。その途上で信長の上洛を阻む南近江の守護大名・六角義賢を攻撃します(「観音寺城の戦い」)。
「観音寺城の戦い」の戦い自体は6万もの大軍を率いた織田軍の圧勝に終わりますが、浅野長勝は観音寺城の支城にあたる箕作(みつくり)城攻めに参加し、城を攻撃する際に討ち死にしたと伝えられています。
(浅野長勝は)先に掲げた「祖父物語」には、秀吉から所領三千石を与えられていたが、信長の近江箕作城(東近江市)攻めで戦死したと記されている(刊本三二二頁)。箕作城攻めは永禄十一年(一五六八)九月のことになる。
浅野長勝 1575(天正3)年死亡説について
ちなみにWikipediaで浅野長勝の記事を確認すると、浅野長勝は1575(天正3)年に死亡した可能性があることを指摘しています。
しかし大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されている黒田基樹さんの著書「羽柴秀吉とその一族」によると、1575(天正3)年という年は「浅野家過去帳」に記載されている浅野長勝の七周忌の年に符合すると指摘。
このことから黒田基樹さんは浅野長勝が死亡した時期は、1568(永禄11)年9月10日の可能性が最も高いとしています。
いずれの内容も優劣を付けがたいが、「祖父物語」がわざわざ箕作城攻めで戦死したと記しているのは、貴重な情報と言える。その視点でみていくと、「浅野家過去帳」に見える忌日は、七周忌と考えれば整合する。そのためここでは、長勝の期日は、永禄十一年九月十日と推定しておきたい。
浅野家の後継者・浅野長吉(浅野長政)とその子孫たち
浅野長勝が箕作城攻めで戦死した同時期に、浅野長勝の養女で寧々(浜辺美波)の妹にあたるやや(屋々)(増井湖々)は、婿入りした浅野長吉(のちの浅野長政)(大地伸永)と結婚していたと考えられています。
そのため浅野長勝が箕作城攻めで戦死したことによって、浅野家が断絶することはありませんでした。
ややと浅野長吉はのちに浅野幸長・浅野長晟・浅野長重の3兄弟を育てます。浅野幸長は紀伊和歌山初代藩主、浅野長晟は和歌山藩二代藩主を経て初代広島藩主に、浅野長重は常陸笠間藩初代藩主を経て、播州赤穂藩の藩祖に。
このうち広島藩は明治維新に至るまで浅野家による領国統治が続き、播州赤穂藩は赤穂浪士の「忠臣蔵」で一躍有名になった藩となります。
浅野長勝の死因は戦死 関連記事と参考文献
浅野長勝の死因は戦死 関連記事と参考文献
浅野長勝に関連する浅野家の人々である、ふく、寧々・やや・浅野長政(浅野長吉)については、それぞれの下記の記事で詳しく説明ています。合わせて参考にしてください。
- 浅野長勝(浅野又右衛門) 寧々の養父 織田信長の馬廻衆
- 豊臣兄弟! 浅野長勝(宮川一朗太)寧々の父 織田信長の家臣
- 豊臣兄弟! ふく(森口瑤子)寧々の母 浅野長勝の妻・七曲殿
- 豊臣兄弟! 寧々(ねね)豊臣秀吉の正室(正妻)(浜辺美波)
- 豊臣兄弟! やや(増井湖々)寧々の妹 浅野長政の妻・屋々
- 豊臣兄弟! 浅野長政(浅野長吉)(大地伸永) ややの夫
浅野長勝の死因は戦死 参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。なおこれらの著作の著者のうち、柴裕之さんと黒田基樹さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
