豊臣兄弟!のやや(屋々)
豊臣兄弟!のややとは
NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」で増井湖々さんがキャストされたやや(1551~1616年)とは藤吉郎(池松壮亮)の正室(正妻)である寧々(浜辺美波)の妹です。
ややは「屋々」や「長生院(ちょうせい)」とも呼ばれ、浅野長吉(のちの浅野長政)と結婚したのちは、浅野幸長(ゆきなが)・長晟(ながあきら)・長重(ながしげ)の3人の兄弟たちを育てることになります。
これらの兄弟のうち、長男・浅野幸長は紀伊国・和歌山藩の初代藩主に、次男・浅野長晟は和歌山藩の二代藩主から安芸国・広島藩の初代藩主として転出。さらに三男・浅野長重は常陸国・笠間藩から転出した播磨赤穂藩の藩祖となりました。
豊臣兄弟! ややの役柄
姉の寧々と共に、浅野長勝。ふく夫妻の愛情を受けて育つ。やがて、長勝が婿養子として迎えた浅野長吉と結婚することに。史実では、長吉は尾張の国衆・安井重継の長男で長勝の甥にあたり、のちに豊臣政権の要職を担うことになる。
豊臣兄弟! やや 役 増井湖々さん プロフィール
2006年生まれ、東京都出身。NHKでは大河ドラマ「どうする家康」などに出演。
やや(屋々)の両親・誕生年・結婚した時期について
ややは浅野長勝・ふく(七曲殿)夫妻の養女だった
大河ドラマ「豊臣兄弟!」におけるややの役柄を見ると、浅野長勝(宮川一朗太)・ふく(森口瑤子)夫妻の娘であると読めます。
ただし「寛永諸家系図伝」によると、やや(屋々)は浅野長勝・七曲殿(「豊臣兄弟!」のふくに当たる女性)の実子ではなく養女であると考えられています。
また「寛永諸家系図伝」によるとややと寧々は、浅野長勝・七曲殿夫妻の養女でありつつも、どちらも杉原道松・朝日殿の実子であったと考えられています。
そのためここでは、「寛永諸家系図伝」の所伝をとって、屋々については長勝の養女とみておくことにしたい。その場合、その実の両親は誰かが問題になるが、「寛永諸家系図伝」の記載の様子をみると、寧々の妹、すなわち杉原道松・朝日殿の娘とみるのがもっとも妥当と思われる。
ややの生年と寧々との年齢差
またややは寧々(浜辺美波)の妹であったことは間違いなかったようですが、生年については2つの説があります。1つは1551(天文20)年とし、もう1つは1557(弘治3)年とする説です。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されている黒田基樹さんの著作「羽柴秀吉とその一族」によると、ややが生まれた年について2つの説があることを認めつつも、ややは「1551(天文20)年生まれ」の方が可能性として高いと指摘されています。
ややが1551(天文20)年に誕生したとすれば、1549(天文18)年生まれの姉・寧々との年齢差は2才差となります。
浅野長吉(浅野長政)と結婚した年は1568(永禄11)年
NHKが発表しているややの役柄について、のちに浅野長吉(浅野長政)と結婚すると説明しています。実在のややと浅野長吉が結婚するのは1568(永禄11)年のことでした。
ややと浅野長吉の結婚時期を「豊臣兄弟!」の時代でいうと、10話の「信長上洛」で織田信長が足利義昭を奉じて京に上洛する頃のこととなります。
豊臣兄弟! やや(屋々) 関連記事と参考文献
豊臣兄弟! やや 関連記事
ややの父・浅野長勝、母・ふく、姉・寧々については、それぞれの下記の記事で詳しく説明ています。合わせて参考にしてください。
- 浅野長勝(浅野又右衛門) 寧々の養父 織田信長の馬廻衆
- 豊臣兄弟! 浅野長勝(宮川一朗太)寧々の父 織田信長の家臣
- 豊臣兄弟! ふく(森口瑤子)寧々の母 浅野長勝の妻・七曲殿
- 豊臣兄弟! 寧々(ねね)豊臣秀吉の正室(正妻)(浜辺美波)
さらに寧々の家系図に関する記事の中でも、浅野家におけるややの関係を説明しています。
豊臣兄弟! ふく 参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。なおこれらの著作の著者のうち、黒田基樹さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
