豊臣兄弟! 17話 まとめ
「豊臣兄弟!」の17話「小谷落城」では、1573(元亀4)年4月に武田信玄が病死したことをきっかけに、足利義昭が築いた「反信長包囲網」が瓦解していきます。
「槙島城の戦い」で信長に敗北した義昭は京を逐われ、織田信長の攻撃は浅井長政と朝倉義景にシフト。1573(天正元)年8月下旬には朝倉義景は本拠地の一乗谷で自害し、翌月9月1日には浅井長政も小谷城で自害に追い込まれることに。
小谷城落城の際、浅井長政の妻として嫁いでいたお市は3人の娘と共に、藤吉郎・小一郎の手を通じて浅井から織田信長に引き渡されるのでした。
豊臣兄弟! 17話 あらすじ(ネタバレなし)
織田信長が足利義昭を京から追放
将軍・足利義昭(尾上右近)は「反信長連合」を結成。その一環として1572(元亀3)年10月に甲斐の大名・武田信玄が遠江国の三方ヶ原で徳川家康(松下洸平)を撃破します。その勢いで武田軍は遠江を難なく通過し三河国に侵入しますが、信玄が急死。武田軍は甲斐に引き揚げます。
「反信長連合」が弱まっていることを見計らい、織田信長(小栗旬)は山城国の槙島城で挙兵した義昭を捕えて京から追放。同年(天正元)年8月には再び浅井・朝倉を討つために軍を動員し、自らは近江国の虎御前山(とらごぜやま)に本陣を構えます。
小谷城が落城 浅井長政は自害
一方、小谷城の背後にそびえる田上山(たなかみやま)に陣を敷いた朝倉義景ですが、北近江と越前を結ぶ北国街道沿いの大嶽砦(おおつくとりで)が織田方に抑えられたことを知ると、一乗谷への撤退を決意。
朝倉からの援軍を失った小谷城では浅井方が籠城戦の構えを見せるも、もはや織田の大軍になす術がありません。
小谷城攻めの責任者であった藤吉郎(池松壮亮)は、信長から和睦交渉とお市(宮﨑あおい)の助命嘆願をする許可を取り付け、小谷城の主殿で小一郎(仲野太賀)とともに浅井長政(中島歩)と最後の談判に臨みます。
しかし長政は和睦交渉には応じず、お市と3人の娘を連れて城から去るように伝えるだけ。やがて一人残された長政は脇差を抜いて自害して果てるのでした。
豊臣兄弟! 17話 ネタバレ(結末まで解説)
藤吉郎は小谷城攻めの戦功により近江長浜12万石の大名に出世
「豊臣兄弟!」の17話ではついに小谷城が落城し、浅井長政を当主とした浅井家が滅亡します。この小谷城攻めにおいて戦功第一であった織田家の武将は、苅安城、長比城、さらに宮部継潤が守る宮部城などを調略した木下藤吉郎秀吉です。
この戦功として藤吉郎(池松壮亮)は浅井家の旧領であった北近江3郡(浅井郡・坂田郡・伊香郡)を所領として与えられ、近江長浜12万石の大名に大出世することになるのです。
さて、浅井・朝倉二氏が滅亡し、江北の平定を見ると、信長は、直ちに諸将を岐阜に会し、大いに功罪を論じ、賞罰を行なったが、木下藤吉郎をもって行賞第一とし、小谷山城に浅井氏の旧領である江北三郡十二万石の地を添えて、与えたのであった。これ、すなわち、元亀元年以来、はじめは横山城、のちには虎御前山城を守って、浅井氏の本拠小谷山城に対し、浅井氏、ひいては越前の朝倉氏までを押え、遂に二氏滅亡の機運をもたらすに至った多年の功績を賞したのであるが、一つには、江北が鎮定すれば、その地を恩賞せんといった兼約を、信長が果たしたわけであった。
桑田 忠親. 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (p. 192). (Function). Kindle Edition.
豊臣秀吉が織田信長のもとで出世したきっかけは、「清須城の石垣を数日で修理したから」や「墨俣に一夜で城を築いたから」など真偽が不確かなものが通説として語られることがあります。
しかし国際日本文化研究センターの呉座勇一准教授が2025年12月18日に出演したYouTube番組のReHacQによると、豊臣秀吉が信長の家臣として最も大きく飛躍したきっかけは、小谷城攻めでの戦功が大きいと説明されています。
宮部継潤は3,000石の知行が与えられる
さらに木下藤吉郎秀吉自身は自分の配下や与力に対しても論功行賞をすることになりますが、最も報いたのは宮部城の城主・宮部継潤(ドンペイ)でした。
このとき藤吉郎が宮部継潤に与えた知行は3,000石。1576(天正4)年ごろ豊臣秀長は藤堂高虎(佳久創)を召し抱えることになりますが、そのとき高虎に与えた知行は300石でした。
藤堂高虎がのちに伊勢・伊賀2カ国などで最大32万3,000石の領地を支配する大名になったことを考えると、小谷城攻めののちに宮部継潤が藤吉郎から与えられた3,000石の知行は、いかに大きなものであったか分かるでしょう。
小谷城落城の理由: 史実を簡単に解説
なぜ小谷城は落城したのか?秀吉の「調略」と義景の「鈍さ」
浅井長政が居城とした小谷城は、長政の祖父・浅井亮政によって築かれた城で、亮政・久政・長政の三代にわたって浅井家が本拠とした「難攻不落」の山城でした。
最終的になぜ小谷城は織田信長によって陥落させられてしまったのでしょうか?その理由は主に2つの理由が挙げられます。
理由その1: 木下藤吉郎秀吉による「調略活動の成果」
1つ目の理由はは横山城の城将であった木下藤吉郎秀吉の調略活動でしょう。
小谷城は堅固であった理由として、急峻な山に築かれたという地形上の理由だけでなく、小谷城を守るように連なっていた支城群の存在も見逃せません。
1570(元亀元)年6月に「姉川の戦い」で勝利したことで、織田信長は浅井領にあった横山城を奪取。横山城の城将として木下藤吉郎秀吉を配置し、藤吉郎は小谷城の支城に対して次々と調略活動を仕掛けていきます。
この調略活動にかかった浅井家の重臣たちには、宮部城主の宮部継潤・佐和山城主の磯野員昌(いそのかずまさ)・山本山城主の阿閉貞征(あつじさだゆき)などが挙げられます。
理由その2: 致命的だった朝倉義景の「戦略的判断の鈍さ」
2つ目の理由は、浅井長政と同盟関係にあった朝倉義景の致命的とも言える「戦略的判断の鈍さ」です。
1573(天正元)年8月8日に山本山城主の阿閉貞征が織田方に降伏した時点で、小谷城は裸城同然の状態に陥ったと考えられます。
秀吉から阿閉貞征が降伏した知らせを聞いた信長は、3万の大軍を率い近江北部に向けて進軍を開始。虎御前山に本陣を構えます。
小谷城が孤立無援であることを知った朝倉義景は慌てて軍勢を率いて、小谷城に籠る浅井勢を救援しようとしますが、城下にはすでに織田の大軍がひしめいており、付け入るスキがありません。
逆に義景は木之本(現在の滋賀県長浜市)まで退き、8月13日に信長との決戦に挑みますが敵わず、敗走の際には3,000余もの味方の首を討ち取られて一乗谷に撤退するという大惨敗を喫しました(「刀根坂の戦い」)。
山本山城が降伏する以前から、小谷城の支城群が次々と寝返っていたことは、越前の朝倉義景もすでに分かっていたはずです。
最後の阿閉貞征が降伏したときに備えて、予め小谷城の周りを固めていれば、義景が信長によって先を越されることはなかったでしょう。
ちなみに朝倉義景は、武田信玄から書状でもって行動力や決断力のなさをなじられたこともあるようです。こうした義景の「戦略的判断力の鈍さ」も小谷城が落城したことの一因と言えるでしょう。
浅井家と朝倉家滅亡の影響〜その後の北近江と越前国
1573(天正元)年8月から9月にかけて越前一国を支配した朝倉家と、北近江を浅井家が相次いで滅亡しました。
旧浅井領にはすでに説明したようにほとんどが秀吉の領地となり、1582(天正10)6月27日に行われた清須会議で、柴田勝家の養子・柴田勝豊の領地に変更されるまで、秀吉が安定的な支配を続けることになります。
一方、朝倉家が滅亡したのち旧朝倉領はどうなったのでしょうか?
信長は「刀根坂の戦い」以前に降伏していた元・朝倉家家臣の前波吉継を越前の守護代を任せますが、同じく朝倉の旧臣であった富田長繁に国を乗っ取られます。
その富田長繁による支配も長くは続かず、今度は加賀の一向宗徒とその指導者である七里頼周(しちりよりちか)に乗っ取られ、「一揆持ちの国」となるなど越前は混乱を極めたようです。
この後、越前国が安定するようになるのは、1576(天正4)年に織田家の家老である、柴田勝家が越前に配置されたのちのことでした。
豊臣兄弟! 17話の見どころと考察
浅井長政とお市 今生の別れ
「豊臣兄弟!」の17話は、武田信玄の病死、足利義昭の追放、朝倉義景の自害、浅井長政の自害など、歴史の教科書にも掲載されるほどの重要な出来事が目白押しです。
その中でもひときわ視聴者の目を引くイベントが17話の後半に描かれる、浅井長政とお市が今生の別れでしょう。
もはや落城は避けられないことを悟った浅井長政は、和睦の使者としてやってきた藤吉郎と小一郎に、妻・お市と3人の幼い娘たち(茶々・初・江)を引き取らせ、自分は自害することを告げ生涯を終えるのでした。
今後の展開への影響〜お市は柴田勝家と再婚
夫と妻、父と娘たちの間で交わされる「今生の別れ」は、多くの視聴者から同情を呼ぶことになりそうです。
しかし史実を振り返ると、浅井長政が自害したことは、お市と3人の娘たちにとって、次なる悲劇を生むきっかけでになったに過ぎません。
浅井長政が自害した約10年後、再婚したお市は、夫・柴田勝家が「賤ヶ岳の戦い」で羽柴秀吉に大敗したことによって越前・北庄城で悲劇的な最期を迎えることになります。
豊臣兄弟! 17話 キャスト 相関図
豊臣兄弟! 17話 キャスト 相関図
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の17話に登場する人物のキャスト一覧とその相関図です。
豊臣兄弟! 全体のキャスト 相関図
大河ドラマ「豊臣兄弟!」全体のキャスト 相関図については下記の記事が参考になります。
また「豊臣兄弟!」のキャスト 相関図の中でも豊臣家の人たちだけにしぼったものについては下記の記事が参考になります。
豊臣兄弟! 17話 関連記事と参考文献
豊臣兄弟! 17話 関連記事
小谷城攻めで木下藤吉郎秀吉の功名に大きく貢献した宮部継潤や、豊臣秀長が近江国で家臣として召し抱えることになる藤堂高虎については下記の記事で詳しく紹介しています。
また第17話「小谷落城」の話における敗者として描かれる、浅井長政・足利義昭・お市については下記の記事について詳しく紹介しています。
- 豊臣兄弟! 浅井長政はどうなる?死亡の結末と史実ネタバレ
- 豊臣兄弟! 朝倉義景はどうなる?滅亡の理由と史実ネタバレ|最期まで解説
- 豊臣兄弟! 足利義昭はどうなる?追放の理由と史実ネタバレ|その後まで解説
- 豊臣兄弟! お市はどうなる?死亡の結末と史実ネタバレ|その後まで解説
またお市と3人の娘の「悲劇」を引き継ぐことになる柴田勝家や、「賤ヶ岳の戦い」の戦闘状況については下記の記事で詳しく説明しています。
豊臣兄弟! 17話 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
